上善(じょうぜん)は水(みず)の如(ごとし)

公開日 2024年05月03日

こんにちは


上善じょうぜんみずごと

この言葉日本酒の銘柄にもございますが、座右の銘という人も多い 
どういう意味でしょうか

ー上善如水ー      老子 第八章
(老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、老耽が実在したか否かは明らかではない。人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」)

{原文}
上善如水
水善利万物而不爭。
処衆人所惡、故幾於道。
居善地、心善淵、與善仁、
言善信、政善治、事善能、動善時。
夫唯不爭、故無尤。

{書き下し文}
上善じょうぜんみずごとし。
みず万物ばんぶつしくしかしてあらそわず。
衆人しゅうじんにくむところにかたづきて、みちいてちかし。
おりて、心善こころよひろめ、ひとしみをあたえ、
しんい、おさめをまつり、ことかない、ときうごけ。
唯争ただあらそわず、ゆえとがし。

上善は水の如し

上善は水の如し



 

{意解}
最も理想的な生き方は水のようなもの、
水はあらゆるものにメリットを与え、他のものとは争わない。
人々の嫌うところを処理してくれ、「道」に近いものである。
一番善いところに住み、心を善く広く持ち、善い慈しみを与え、
善い言葉を語り、善い政治を行い、善い結果を出し、最も善い時に動くもの。
およそ争わないので恨まれることもないのである。

「上善」とは、最も理想的な生き方。そういう生き方をしたいと願うなら、水のあり方に学べというのである。水には、学ぶに足る特徴が三つある。

第一に、きわめて柔軟であることだ。四角な器に入れれば四角な形になるし、丸い器に入れれば丸い形になる。器なりに形を変えて、少しも逆らわない。

第二に、低いところに身を置くのは誰でもいやがることだが、水は、人の嫌がる低い所、低い所へと流れていく。つまり、すこぶる謙虚である。自分の能力や地位を誇示しようとしない。

第三に、ものすごいエネルギーを秘めている。急流ともなれば、硬い岩石をも打ち砕いてしまう。

このように、水は柔軟、謙虚、秘めたるエネルギーの三つの特徴を持っています。
人間もそれを身につけることができれば、理想の生き方に近づけるのだという意味があるようです。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。